日本サッカー協会のシンボルに八咫烏(ヤタガラス)が使われているのはなぜ
日本代表の旗やユニホームに付けられているシンボルマークが3本足のカラスであることは皆さん知ってますよね。
なぜ3本足のカラスなんでしょう?
それは、日本にサッカーを紹介し広めた功績者に中村覚之助(かくのすけ)という人物がいます。
東京高等師範学校の学生でありながら、米国の「アッソシェーション・フットボール」を翻訳して明治35年を設立しました。
これが日本における現代サッカーの本当の始まりと言われています。
もともと明治6年(1873年)には日本にサッカーが伝わっていたのですが、この当時はラグビーのルールが混在し、純然たるサッカーではなかったようです。
そしてこの中村覚之助は明治39年に29歳の若さで亡くなります。
その後日本サッカー協会のシンボルマークは昭和6年に図案化されます。
その発案者は、当時の東京高等師範学校の内野台嶺(うちのれい)教授を中心とする人たちなのですが、実は内野教授は明治39年頃の蹴球部員だったのです。
中村覚之助は神様のように慕われたらしく、内野教授はマークの図案に中村覚之助の故郷である和歌山県那智勝浦町の渚の宮神社のシンボルである八咫烏を取り入れることにした。というのが現代では有力な説になっています。
八咫烏の「咫」は長さの単位で1咫は約18cmになります。それ1字では「あた」と読み、「八咫(やあた→やた)」では「大きな」という意味になります。八咫烏とは、大きなカラスという意味で、3本の足を持つカラスとして描かれます。
『古事記』や『日本書紀』には、カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)が東征の途上、天から遣わされたヤタガラスの道案内により熊野・吉野の山中を行軍したということが記されています。勝利へ導く縁起の良いカラスなんですね。
カラスの足を三本足とするのは、陰陽五行思想によるものてで、二は陰数で太陽にふさわしくなく、陽数である三こそが太陽にふさわしいと考えられたことが理由のようです。八咫烏は太陽の象徴とされていました。