「輝く今日を見つめて」2013.7.25

【風立ちぬ】
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宮崎駿監督の「風立ちぬ」を原作の「零式戦闘機を」に合せながら鑑賞しました。
主人公の設計家「塚越二郎」が27才の若さで、ゼロファイターとアメリカに恐れられたゼロ戦を戦場に送り出す姿を淡々と描き出していました。
満員の「蒸気機関車」に乗車の中で「関東大震災」に会い、負傷した者を手当して燃盛る東京の町をおんぶして自宅まで送る姿は良かった。
それが縁で、菜穂子とのストーリーも、美しく、悲しく描きあげてある。
当該主人公が現代に生存していたら、世界を驚愕させる飛行機を設計したと思う。
描写の中には、実写かと見間違う美しさが幾つものシーンあって美しかった。
「崖の上のポニョ」「千と千尋の神隠」「火垂るの墓」等を鑑賞しているが宮崎駿監督は神の子だ。
私も、背筋を伸ばして生きて行こうと決めた。
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以下、何方かの引用
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風立ちぬ あらすじ
映画の冒頭、フランスの詩人ポール・ヴァレリーの「風立ちぬ、いざ生きめやも」という一説が引用される。
二郎の少年時代
1916年(大正5年)群馬県藤岡市
早朝、一面美しい水田が広がる田園風景の中に点在する家々。
蚊帳の中で、妹と共にまだ眠りにつく、坊主頭の少年。
本作の主人公・堀越二郎。
二郎が見ている夢の中へ。屋根を登っていく二郎。てっぺんに取り付けた、鳥のようなフォルムの自作の飛行機に乗り込み、空へと飛び上がる二郎少年。田畑や川を抜け、橋をくぐり、紡績工場の上空を颯爽と飛び回る。多くの人が彼に向かって手を振っている。しかし遠くの雲の中から収縮しながら無数の黒い不気味な飛行物体が現れ、その背後から巨大でいかめしいデザインの飛行船がゆっくりと姿を現す。二郎少年はその飛行船をしかと見定めようとするが(夢の中なのに)近眼の彼はゴーグルを外して眼鏡をかけるタイミングを失い、その間に飛行物体のひとつが彼の飛行機に激突、大破する。残骸と共にみるみる墜落する二郎少年だが、そこで目が覚めた。寝床の中で、自分の近眼をあらためて恨めしく思う二郎。
小学校に通う二郎は、勤勉で飛行機好きな少年だった。飛行機の事を知るためなら、図書館で「兄の辞書を借りますから」と言って英語の飛行機雑誌を借りてくる。そして下級生が大勢の上級生からいじめられている場面を見ると、即座に駆けつけいじめっ子を投げ飛ばす正義感の強さも持っていた。
二郎の母はそんな二郎を「ケンカは、なりませんよ」とたしなめつつも、温かく見守っていた。そして妹の加代はいつも「にぃにぃ様、にぃにぃ様」と二郎にまとわりついている。加代は二郎の部屋にまで上がり込み、二郎の持って帰った海外の飛行機雑誌に載っていた「変なヒゲの外人」の顔を見てからかうが、それこそが堀越二郎が最も尊敬する、イタリアの著名な航空機設計者、ジャン・カプローニ伯爵だった。
二郎は少しでも近眼を直すため、夜、屋根に登って星空をじっと見ていたが、そこにまで加代がまとわりついてきた。加代は「あ、流れ星」と夜空を指さすが、近眼の二郎には悲しいかな、よく見えない。
しかし二郎はそこで突然夢の中に入り込む。風が吹く広大な草原の低い場所を、多くの飛行機がゆっくりと飛んでいる。その中の一機から、外国人らしき男が「君はなぜここにいるのか」と話しかけてくる。二郎「僕の夢の中だと思います」飛行機を降りた黒い背広でヒゲの男「日本の少年、ここは私の夢の中の筈だが…そうすると夢と夢がくっついたのか?」「あなたはジャン・カプローニ伯爵ですね。会えてうれしいです」握手を交わす二人。カプローニによると、飛んでいる飛行機はすべて爆撃機で、戦争のため敵の町を爆撃に行くが、半分も戻ってこないそうだ。
「だが、戦争はじき終わる」こともなげに言うカプローニ。戦後に活躍するはずの巨大旅客機に二郎を乗せ、案内する。まわりも乗客を満載した様々な形の巨大旅客機が飛んでいる。二郎は「近眼で飛行機の操縦ができない自分でも、飛行機の設計はできますか」と問う。だがカプローニは「私も飛行機の操縦はできない。私は飛行機を造る人間・設計家だ!いいかね日本の少年よ。飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく、それ自体が美しい夢なのだ。設計家は夢にカタチを与えるのだ!」
目覚めた二郎は、優しく見守っていた母に「母さん、僕は飛行機の設計家になります」と、はっきりと見定めた人生の目標を告げた。
菜穂子との出会い 関東大震災
1923年(大正12年)関東地方へ向かう列車の中?上野付近
時は過ぎ、二郎は東京の大学に入学していた。帰省していた実家から東京へ向かう列車の中。座っていた三等車の座席を立っていた人に譲り、デッキでタバコを一服する二郎の帽子が風に取られる。女中らしき女性と一緒にいた少女が思わずそれをつかまえようとして身を乗り出す。支える二郎。礼を言う二郎に美しい少女が、ポール・ヴァレリーの詩の一節「風立ちぬ」を引用する。応える二郎。女中が頭を下げて二等客車に戻っていった。
突然、大地がうなりを上げる。「うおおおぉーーーーーん」すべての地面がまるで蛇のようにゆらめき、あたりの家々がみるみる崩れ去っていく。「地震だ!」列車は急停止する。誰かが「機関車が爆発するぞ?!」と叫ぶ。次々と線路に降りていく乗客たち。二郎はあの二人の姿を探す。すると「お絹」という女中の方が足を押さえてうずくまっていた。骨折しているようだ。「置いて逃げてください」と言うが、二郎はすばやく足に計算尺を縛り付けて応急処置をほどこした。少女に聞くと上野の実家に帰るところだと言うので、お絹をおぶって送るという二郎。
砂利敷きの線路の上を人ひとりをおぶって歩くのは並大抵ではない。つまずいて転ぶ二郎。すまながるお絹。低い場所からは次々に火の手が上がり始めた。なんとか高台の神社に逃げ延びる三人。二郎は新品のシャツに井戸の水を含ませて二人に飲ませる。お絹をおぶったまま上野まで移動は無理と見て、大混乱の中、二郎と少女は応援を呼びに上野の実家へ向かう。少女が実家の前で帰りを待つ家人を見つけるのを見届けると、家人数人と共にお絹の元へとって返した。「では、よろしく」家人たちにお絹を託すと、名前も告げず、あっさりとその場を立ち去る。
二郎は本郷の大学校舎(旧・東京帝国大学工学部航空学科)へ向かった。大学では同じ航空学科の本庄が、運び出した本の山の前で座り込んでいた。「東京壊滅だ」そんな時なのに、再びカプローニが二郎の白昼夢に現れる。「日本の少年よ!まだ風は吹いているか!」「はい、大風です!」
カプローニ「では、生きねばならん!」
復興する東京
1925年(大正14年)隅田川、深川、浅草
2年後。東京もようやく復興しつつあり、あちこちから槌音が聞こえてきていた。二郎たちのいた航空学科は校舎が炎上したので、隅田川沿いに移転していた。一心不乱に図面を引く二郎を、本庄が昼飯に誘う。めし屋では、サバ味噌煮ばかり食べる二郎を本庄は「マンネリズムだ」と小馬鹿にするが、二郎は「骨の曲線が美しいだろう」と、うっとり眺める。本庄は何かにつけ海外と日本を比較し、遅れている日本にいらだっているようだった。
学校に戻ると用務員が、ついさっき若い女性が二郎あてにこれを届けた、と風呂敷を差し出す。中を開けると真っ白い新品のシャツと計算尺、手紙が。二郎はあわてて追いかけるがもういない。届けたのは2年前の地震の時、混乱の中で二郎が助けたお絹だった。
下宿に戻ると、自分を訪ねてきた若い女性のお客が、今部屋で待っていると言われる。胸をときめかせた二郎だが、待っていたのは上京してきた妹の加代だった。あらかじめ来ると言われていたのに、二郎が忘れていたのだ。「にぃにぃのバカ、薄情者!」と文句を言われる。歩いて加代を送りながら、2年前の事を話す。あの後二郎は一度だけ少女とお絹のお屋敷を訪ねたが、きれいさっぱり焼け野原になっていた。隅田川の「一銭蒸気(渡し船)」に乗り、「将来は大学に行って医者になりたい」と夢を語る加代。
三菱内燃機へ入社
1927年(昭和2年)名古屋
二郎は大学を無事卒業し、飛行機の設計にたずさわるため、本社が名古屋にある「三菱内燃機株式会社」に就職内定していた。東京から名古屋に向かう途中の列車から、大勢の人たちが線路上を名古屋に向かって歩いて行くのと遭遇する。名古屋駅では一足先に同じ会社に就職した本庄が迎えに来ていた。日本は金融恐慌の只中にあった。街には大勢の職を求める人たちが行き交い、銀行は取り付け騒ぎで人々が押し寄せていた。本庄「世の中不景気だ。俺たちの行く会社も不景気だぞ」
海沿いの木造社屋だけの三菱内燃機に到着する二郎と本庄。上司の黒川は「今4月だぞ、来るのが遅い!」とさっそく文句をたれる。入社早々の二郎に飛行機の主翼の取り付け金具の設計を命じる。課の上司たちに新人ながら「噂の英才」として紹介される二郎には、「誰も使わなかった」輸入物の製図机が割り当てられる。すぐに仕事に取りかかる二郎だが、自分の取り付け金具では、飛行機が墜落するイメージしか湧かない。昼飯に誘う本庄に、「組み立て工場を自分で直接見たい」という二郎。しかし製作中の実機にはすでに金具は取り付けられていた。黒川の新人シゴキだ。「堅実な設計だ」という本庄に二郎は「これではダメだ。僕の考えたのと一緒だ」「しかし…飛行機はおもしろいなぁ!」
午後、一心不乱に図面を引いていた二郎の所に、設計課長の服部が黒川をたずさえてやってきた。上司が来たのにも気づかない二郎だったが、命令された仕事以上の「新しい革新的アイデア」の図面を見せ、熱心に服部に説明する。黒川は「それでは主翼自体の設計改変になる。時間のムダだ!」しかし命令された仕事はすでにできあがっており中身も完璧、服部は図面に引かれた線の美しさに感服する。黒川はくやしまぎれに「できた仕事はすぐに出す事!」と小言を。
工場の隣では牛を飼っていた。完成した飛行機を各務原の飛行場まで運ぶのに、牛車を使うためだ。
本庄は「おそるべき後進性だよ」と嘆く。
隼(はやぶさ)テスト飛行
1928年(昭和3年)名古屋 各務原
そして二郎たち設計課の努力を結集した「隼」のテスト飛行の日がやってきた。陸軍のお偉方が大勢視察に来ている中、二郎はスピードを計測するが、目的の速度には足りない。再度、動力降下(自由落下ではなく動力を動かしながら加速落下する)で時速400キロに挑戦する。うなりを上げて軋む機体。しかしついに限界を超え、隼は二郎たちの目の前でバラバラに空中分解を起こす。パイロットは落下傘脱出して無事だったが、テスト飛行は失敗に終わった。
降りしきる雨の中で傘もささずに、隼の残骸を拾い集める黒川。「空中分解の原因が取り付け金具だと思うか」と問う黒川に対し、二郎は「原因はもっと深いと思います。今日、自分は深い感銘を受けました…戻って二号機を作りましょう」しかし黒川は「陸軍の戦闘機は別のメーカーにすでに内定していた。今日のテスト飛行はそれをひっくり返す1回きりのチャンスだったのだ…」そしてドイツ・ユンカース社の爆撃機を下請けする事になるから、視察に二郎を推薦しておいた、と。「ドイツを見ておけ」
電車で帰宅していた二郎は、いつもの駄菓子屋で「シベリア(カステラのような菓子)」を二つ買う。店の前で帰宅の遅い親の帰りを待ってじっと立っている三人の幼い兄弟。二郎はその子らに「食べなさい」とシベリアを差し出すが、兄弟は逃げるように行ってしまう。下宿に本庄がやってきた。彼は貧しい兄弟に菓子を差し出す二郎の行為を「偽善だ。その子がお前に礼でも言うと思ったか?腹を減らしている子供なんかいくらでもいる。俺たちがやっている飛行機の開発に消える金で、日本中の子供たちに天丼とシベリアを毎日食わせて、まだお釣りが来るんだ…それでも俺は与えられたチャンスを無駄にしない」本庄もドイツ視察に同行する事が決まっていた。
ドイツ視察へ
1929年(昭和4年)ロシア経由でドイツ・デッソウへ
視察に訪れたユンカース社の巨大飛行機製造工場は、何もかもが「近代的」で二郎たちを圧倒していた。そして正式な視察団に対し「東洋人が技術を盗みに来た」というドイツ側の不信感から、工場内で制約を受ける。工場の隅っこにあった小さな飛行機に美しさを感じ、感銘を受ける二郎だったが、それすら見せようとしない衛兵らに対し淡々と抗議する二郎。しかしユンカース社長の取り計らいで、巨大爆撃機G-38の飛行に同乗させてもらえる事に。機内では、まさにドイツ工業技術の粋を集めたメカニックの数々に興奮する視察団。
夜、ホテルに戻った二郎たち。日本にはない暖房器具が完備された部屋で、工業技術の「20年の差」にいらだつ本庄。「俺たちは20年の差を5年で縮める。いつか追いつき、追い越してやる」外気に当たろうと外に出た二郎たちの目の前を、ドイツ秘密警察に追われているらしい男が走り抜ける。昼間格納庫にいた男だ。ドイツの街はナチスの台頭により不穏な空気に満ちていた。
再び二郎は夢の中にいた。雪の平原に列車が走っている。乗り込もうとする二郎だが、上空から日の丸をつけた巨大な爆撃機が墜落していく。
本庄がホテルの部屋で辞令を聞く。本庄たち数名を残して帰国。二郎のみ、西廻りでヨーロッパ視察継続。二郎には世界を見てくる使命が課せられた。
雪原を走る列車の中で二郎の夢の中に現れるカプローニ。「まだ風は吹いているかね?では、私の引退飛行に招待しよう」列車を飛び降りる二人だが、雪は消え草原が広がり、さまざまな形の巨大旅客機の中から職工の家族や親戚、陽気なイタリア娘が手を振っていた。無理矢理飛行機に引っ張り込まれる二郎。羽の上で会話する二人。二郎「我々の国は貧乏です」カプローニ「設計に必要なのはセンスだ。技術はその後についてくる…貧乏なのは我が国も同じだ。子だくさんだしな…」
カプローニ「空を飛びたいという人類の夢は、呪われた夢でもある。飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命を背負っているのだ…」二郎「僕は美しい飛行機を造りたいと思っています」その時空の彼方から二郎の夢見る「ゼロ」が流線型のフォルムをまとわせて飛んできた。カプローニ「ウム、いい感じだ」二郎「まだまだです。エンジンもコクピットも形になってません」
カプローニ「創造的人生の持ち時間は10年だ…君の10年を、力を尽くして生きなさい」
七試 設計主務者へ
1932年(昭和7年)
時は流れて3年後、二郎はある日黒川に近くの喫茶店に呼び出される。待っていた服部から出された辞令は、七試(新型の艦上戦闘機)の設計主務者への任命だった。二郎は海軍からの要求の多大さに懸念を表明しつつ、この大抜擢を受ける事に。スタッフに本庄をもらえないかと頼むが黒川から「友情を失うぞ」と止められる。
後日、二郎と黒川は十三式艦上攻撃機で日本海軍の空母・鳳翔への視察に。大量のオイルと黒煙をまき散らしてようやく空母に着陸するオンボロ複葉機。空母からの離陸はエンジンすらまともに動かず、ほとんど海の藻屑に。この時代はまだ、日本の兵器技術の遅れぶりはどうしようもなかった。
七試、テスト飛行
1933年(昭和8年)
二郎の設計した七試艦上戦闘機が完成し、いよいよテスト飛行の日がやってきた。多くの人力で飛行場へ運ばれてきた七試。しかしその機体はズングリムックリ、美しさのカケラもない不格好な機体であった。エンジンがうなりを上げ、飛び立っていく七試。喜びに沸く社員たちであったが…
二郎、軽井沢へ 菜穂子と再会する
美しい山間を登ってゆく列車。険しい谷に掛けられたレンガ造りの陸橋を通り抜け、避暑地・軽井沢へ。緑の森の小径を歩く二郎。森の外れの草原で、キャンバスに油絵を描いているひとりの女性が目にとまる。女性が二郎の向かいから歩いてきた父らしき年配男性に声をかける。
その時、ふいに風が立った。
女性の日よけパラソルが風に飛ばされる。二郎があわてて飛ばされたパラソルをつかまえる。女性は「ブラボー!ナイスキャッチ!」パラソルを父親に渡す二郎。父が礼を言うとさっと立ち去る。女性は二郎に失礼な事を言ったのかと心配するが、父は同じホテルだからお礼を言う機会もあるよと娘に。
ホテルの部屋でひとり回想する二郎。七試のテスト飛行は機体が耐えきれずにバラバラに空中分解した。失敗だった。残骸の前で呆然と立ち尽くしていた。
夜、ホテルのレストランでひとり食事する二郎。あの親子も席につく。二郎が娘に気づき、お互いに目で会釈した。となりに妙な雰囲気の白人男性が、山のようなクレソンをもりもり食べている。
翌日、森に女性の姿を探す二郎。キャンバスがあるが女性はいない。森の奥へと進むと、小さな泉の前でひとり祈っている姿が。女性が振り返り歩いてきた二郎が軽く会釈すると、なぜか急に感極まった表情になり、またくるりと泉の方を向いてしまった。二郎は何かまずいのかと思い、戻ります、と言うと女性は「行かないで…今、泉にお礼を申しましたの。あなたがここに来るように毎日祈っていたんです。少しもお変わりなく…地震の時に助けていただいた、里見菜穂子と申します」ようやく気づいた二郎があわてて「堀越二郎です!」と。
急ににわか雨が降り出し、ひとつのパラソルでずぶ濡れになりながら歩く二郎と菜穂子。あの時助けた女中のお絹が二郎の居所を知ったのは、お絹が嫁に行く2日前だった事。二郎は自分とお絹の「王子様」だった事、お絹が二人目の赤ちゃんを産んだ事などをうれしそうに話す菜穂子。
通り雨がやんだ。虹が出ていた。傘を持った菜穂子の父が迎えに来た。二郎を父に紹介する菜穂子。
夜、ホテルのレストランで人待ちの様子の二郎。落ち尽きなくタバコを吹かす二郎にクレソンをドカ食いしていたあの白人男性が話しかける。「ドイツのタバコ、これ最後。悲しい」そして男性は二郎が航空機の設計者である事を言い当てる。急に「ユンカース博士はナチスと敵対している。追われる」とドイツの内部事情を。「ここはいい所です。まるで『魔の山』。忘れるには良いところ」と、急にトーマス・マンを引用する。
「日本はチャイナと戦争したり、満州国を作ったり、国際連盟を脱退したり、すべて忘れる。破裂する。ドイツも破裂する」この男は何か諜報活動をやっている人物なのか?
すると菜穂子の父がやってきて「菜穂子の体調がよろしくなく…すまないが会食のお約束はキャンセルさせてください」と。せわしない調子でもどっていく父。
夜、ホテルの菜穂子の部屋だけに灯りがともり、看護婦があわただしく廊下を走り抜けるのが見えた。何かただ事ならぬ雰囲気。
翌日、二郎は菜穂子の部屋が見えるバルコニーでたわむれに紙飛行機をつくる。あやまって隣の部屋の庇に乗ってしまい、取ろうとしてバルコニーに脚を掛けたところに、不意に姿を見せた菜穂子と目が会う。「…次郎さん?」その時足下の木が砕け、二郎は落ちそうになるがセーフ。二郎は菜穂子のいるバルコニーに落ちた紙飛行機を自分の所に飛ばせ、とジェスチャー。意図を理解した菜穂子は紙飛行機を飛ばすが、下を通りかかったあの白人男性が「ナイスキャッチ」してしまう。
その日から、二郎と菜穂子の紙飛行機を介した、バルコニー越しの奇妙な交流が始まった。毎日二郎が作る紙飛行機を、菜穂子も心底楽しみにしていた。二郎も菜穂子も心からの笑顔だった。あの白人男性も微笑ましく見守っていた。
ある日の夜、レストランでカストルプというあの白人男性が歌を披露する。合わせて歌う、二郎と菜穂子の父。父によると菜穂子の体調も戻ったようだ。カストルプは「この若者も来た時は打ちひしがれていたが、今は見違えるようだ。恋、したから」それをあっさり認める二郎。そして父に、菜穂子との交際を正式に認めてくださいと申し込む。とまどう父だったが、急にその場に現れた菜穂子は「その話をお受けしたいと思います」と。その上で続ける。「私の母は2年前に結核でこの世を去り、私も同じ病です」二郎はそんな事は意に介さない、といった口調で「あなたを愛しています…僕と結婚してください」「はい、でもその前にきっと病気を治します。それまで待っていただけますか」カストルプが菜穂子の父に祝福の言葉を述べる。
二郎、公安に追われる
名古屋の会社に戻った二郎。同期の本庄は八試特殊偵察機を開発中だった。機体を見た二郎は「これは飛ぶよ。風が立ってる。本庄は日本の20年を一気に縮めた…僕のアイデアを使わないか?」と機体の空気抵抗軽減の設計図を渡すが、本庄は今は使わない、二郎が次の機体を作ったらその時使わせてもらう、と。
すると急に黒川が二郎をどやしつけて連れ出す。公安が二郎を探しているから身を隠せ、との事。二郎は身に覚えがない、と言うが、別の場所にかくまわれて仕事道具も持ち込まれる。夜、服部、黒川と一緒に車の後部座席に詰め込まれて脱出する二郎。婚約者からの手紙が来るから下宿に帰らせろ、と言うが下宿こそ見張られている、という事で黒川の家の離れに落ち着く事に。軽井沢を離れる時、自動車で疾走していったカストルプは追われているようだった。彼の身を案じる二郎。
黒川邸の離れでカンヅメになり仕事に没頭していた二郎だが、ある日、黒川から知らせがあり、下宿に電報が届いているようだった。文面は「ナオコ カッケツ(菜穂子が喀血した・血を吐いた)」呆然として電話を置く二郎。黒川夫人に一番早く東京へ行く方法を聞き、列車に乗り込む。車内でも計算尺で仕事を続ける二郎だったが、紙の上に涙がこぼれ落ちる。明日は大事な重要会議があり、仕事を途切れさせるわけにはいかないのだ。
東京に着いたときには夜になっていた。菜穂子の屋敷に着いた二郎は、待ちきれずに庭から家に入り込み、灯りがついた菜穂子の部屋を見つけると、寝ていた菜穂子も二郎を見つける。「あなた!」倒れ込むように抱き合うふたり。口づけを交わす。菜穂子「(結核が)うつります…」二郎「愛してる…」
帰宅した父が菜穂子の部屋へ。菜穂子は、次郎さんが来てくれたが、すぐ東京に戻らなければならない、と言う。二郎は「次は明るい時分に玄関から来ます」と。しかし菜穂子は「お庭からの方がうれしいわ」帰り際に父に聞いた菜穂子の病状はかなり深刻なもののようだ。二郎が帰った後、菜穂子は、一日も早く回復するため、高原の結核療養所に入る決意を父に打ち明ける。
翌日の会社役員、軍関係者へのプレゼンはとりあえず間に合った。夜、若手の研究者を集めた研究会は大いに盛りあがり、二郎は引き込み脚などの最新技術を採用して時速500キロを叩き出す戦闘機の構想をぶち上げる。さらに軽量化を極めるために平山技師から「沈頭鋲」の採用が提案される。
菜穂子、二郎の元へ
1934年(昭和9年)
高原に立つ結核療養所。患者たちは清浄な空気を吸い込むのが良いとされた結核治療のため、寒い屋外にベッドを並べ、厚着をして寝袋にくるまって芋虫のような姿をさらしていた。その中のひとり、菜穂子の元に二郎からの手紙が届く。寝袋の中で文面を読んで感極まる菜穂子。
>映画「風立ちぬ」に登場する結核治療。菜穂子が高原の療養所で屋外にベッドを並べて寝袋にくるまっているのはなぜ?
ある朝、一面の雪景色の中、身支度をした菜穂子はひとり結核療養所を抜け出した。
名古屋の仕事場で連絡をもらう二郎。名古屋駅に菜穂子が来る。ホームに入ってくる列車。行き交う人波をかき分け、ふたりはお互いの姿を探す。やがて見つけ、抱き合う二人。二郎は「帰らないで…ここでふたりで暮らそう」と黒川の家で暮らす事を提案する。
二郎と菜穂子は黒川と夫人が待つ家へ。「まぁ、かわいいお連れさん」とひと目で菜穂子を気に入る夫人。二郎は黒川に、ここで一緒に暮らすために離れを貸してほしいと申し出る。黒川は「結婚前の男女がひとつ屋根に住むなどまかりならん!」と言うが、二郎は「今すぐ結婚します。仲人をお願いします」とびっくり提案。菜穂子も、父親も了承済みで病院にも連絡した、と言う。夫人は「あなた、いいじゃありませんか…そうと決まればすぐに支度を」と勝手にドンドン話を進める。
二人きりで向かい合った二郎と黒川。黒川は「彼女の体を考えたら、一刻も早く山へ戻さないといけないぞ」と問い詰めるが、二郎は「私が付き添えればいいのですが、飛行機をやめなければいけません。それはできません」「君のエゴイズムじゃないのか!」「僕たちには時間がないのです…覚悟しています」
黒川夫妻だけが立ち会う婚礼の儀が始まった。古いしきたりに沿ったものだ。黒川夫人が新婦を先導し、新郎の待つ部屋の前で口上を述べる。中にいる仲人の黒川がそれに応えると、ふすまを開けて菜穂子が姿を現す。花嫁衣装でもなく質素だが、髪には一輪の花が飾られた。二郎「きれいだよ…」こうして二郎と菜穂子の夫婦の契りは終わった。菜穂子は「黒川様…奥様…身ひとつの私どもへの温かい思いやり…お礼の言葉もございません」深々と黒川夫妻に頭を下げる堀越夫妻。黒川も思わず涙。
離れに寝ている菜穂子。二郎は、今日は疲れただろうからゆっくりお休み、と気づかう。しかし、菜穂子は「…きて」と床に誘う」灯りが消える。
ある日、黒川邸を二郎の妹の加代が訪ねるが、二郎はまたもや加代の来訪を忘れていた。黒川夫妻も寝てしまった深夜にやっと帰宅した二郎に加代は文句たらたら。そして加代は医者になった報告、二郎に結婚おめでとうを言うが、急に向き直り「にぃにぃは菜穂子さんをあそこに閉じ込めてどうするの?私も医者の卵だからわかる。考えてるよりずっと重いのよ…私、菜穂子さん大好き…」大泣きする加代。しかし二郎は「僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ…」
離れに帰る二郎。寝ていた菜穂子が起きだし、「加代さんと仲良くなっちゃった…未来がいっぱい詰まったお日様みたいな人ね」と。横になった菜穂子の横で仕事を続ける二郎。菜穂子にせがまれ、左手を菜穂子とつないだままで図面を引く。菜穂子「仕事している次郎さんを見るのが一番好き…」
二郎は会社でゼロ戦の原型となる「九試」の制作を進めていた。逆ガルウイング翼、沈頭鋲を採用したスマートで美しい機体だ。今までの技術の総決算のような九試に本庄は「アバンギャルドだな」と。しかしその本庄は九試中型陸攻(後の九六式陸上攻撃機)という未完成な爆撃機の胴体のみという仕事をやらされていた。海軍では初めてまともに飛ぶ飛行機と軍は有頂天になっていたが、物資不足の中で、ムキ出しの爆弾を抱えて3000キロを飛ぶため装甲も薄く、被弾を受けるとあっという間に火だるまになる空飛ぶ棺桶だ。だが、この時の日本は世界の列強をほとんどすべて敵にしていた。背伸びせざるをえなかったのだ。
二郎は寝る間も惜しんで九試の完成を急いだ。やがてその朝がやって来た。連続徹夜明けの疲れた体で菜穂子の寝ている離れに帰る二郎。「終わったよ…後は飛ばすだけだ。牛に引かれて飛行場に行った…向こうに何日か泊まり込みになりそうだ」菜穂子「お疲れさま。きっとちゃんと飛びますよ…」そのまま菜穂子の布団に包み込まれる二郎。菜穂子が眼鏡をそっと外して枕元に置く。
いよいよ九試のテスト飛行の朝、「ご成功を」と菜穂子は二郎に、まるで出征兵士を送り出すように声を掛ける。軽い口づけを交わし、二郎は出ていった。悲しげに見送る菜穂子。
台所で使用人たちと朝の支度をしていた黒川夫人のもとに、きっちりと身支度をして現れた菜穂子。「今朝は気分が良いのでちょっと散歩してきます」と告げ、黒川邸を出る。
彼女はどこへ向かったのか?
↓続き
>風立ちぬ ネタバレ 結末 宮崎駿 スタジオジブリ
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↑ここまで
※以下はネット記事から引用
戦争の足音が近づく中、設計した戦闘機が試験飛行中に墜落し、失意に陥った堀越二郎は、避暑地の軽井沢で里見菜穂子と運命的な再会を果たす。菜穂子は十年前の関東大震災の折に、二郎と同じ汽車に乗り合わせた少女だった。
二人はたちまち恋に落ち、婚約するが、菜穂子は結核を患っていた。「美しい飛行機」を作ろうと、ゼロ戦の設計を進める二郎。一方、自分の命が残り少ないことを悟った菜穂子は療養所を抜け出し、二郎の元に駆けつける。二郎の上司夫妻の仲人で祝言を挙げた二人は、限られた時間を精いっぱい生きようとする・・・。
実在の人物がモデルとなるのは、スタジオジブリの長編作品では初めて。また、宮崎作品はこれまで三、四日の間に起きた出来事の話が多かったが、今作は主人公の約三十年にわたる半生を取り上げた。宮崎アニメの魅力の一つである空のシーンは多いが、派手な戦闘場面などはない。
その代わりに、過去の子供向け作品にはなかった大人の恋愛が描かれている。
スタジオジブリ・宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」の試写会に行ってまいります!
最短で2013年の7月4日に、この記事で「風立ちぬ」のあらすじを報告できるかと思います。
当たればねw
さて、各上映劇場に「風立ちぬ」のポスターが並び始めています。
風立ちぬ
申し込んだ劇場に置いてあった「風立ちぬ」のチラシ。
風立ちぬ
風立ちぬ
「風立ちぬ」のあらすじや物語の中身・雰囲気は、宮崎駿自身が書いた企画書で、かなり伺い知る事ができますので、以下に全文掲載します。
※以下、「風立ちぬ」企画書から引用
企画書
飛行機は美しい夢
ゼロ戦の設計者堀越二郎とイタリアの先輩ジャンニ・カプローニとの同じ志を持つ者の時空を越えた友情。
いくたびもの挫折をこえて少年の日の夢にむかい力を尽くすふたり。
大正時代、田舎に育ったひとりの少年が飛行機の設計者になろうと決意する。
美しい風のような飛行機を造りたいと夢見る。
やがて少年は東京の大学に進み、大軍需産業のエリート技師となって才能を開花させ、ついに航空史にのこる美しい機体を造りあげるに至る。三菱A6M1、後の海軍零式艦上戦闘機いわゆるゼロ戦である。1940年から三年間、ゼロ戦は世界に傑出した戦闘機で会った。
少年期から青年期へ、私達の主人公が生きた時代は今日の日本にただよう閉塞感のもっと激しい時代だった。関東大震災、失業、貧困と結核、革命とファシズム、言論弾圧と戦争に次ぐ戦争、一方大衆文化が開花し、モダニズムとニヒリズム、享楽主義が横行した。詩人は旅に病み死んでいく時代だった。
私達の主人公が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気もはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憧れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少なくない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能において最も抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。
この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は、”風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公”二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会いと別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を越えた彩りをそえて、完全なフィクションとして1930年の青春を描く、異色の作品である。
映像についての覚書
大正から昭和前期にかけて、みどりの多い日本の風土を最大限美しく描きたい。空はまだ濁らずに白雲生じ、水は澄み、田園にはゴミひとつ落ちていなかった。一方、町はまずしかった。建築物についてセピアにくすませたくない、モダニズムの東アジア的色彩の反乱をあえてする。道はでこぼこ、看板は無秩序に立ちならび、木の電柱が乱立している。
少年期から青年期、そして中年期へと一種評伝としてのフィルムを作らなければならないが、設計者の日常は地味そのものであろう。観客の混乱を最小限に留めつつ、大胆な時間のカットはやむを得ない。三つのタイプの映像がおりなす映画になると思う。
日常生活は、地味な描写の積みかさねになる。
夢の中は、もっとも自由な空間であり、官能的になる。時刻も天候もゆらぎ、大地は波立ち、飛行する物体はゆったりと浮遊する。カプローニと二郎の狂的な変質をあらわすだろう。
技術的な解説や会議のカリカチュア化。航空技術のうんちくは描きたくはないが、やむを得ないときはおもいっきり漫画にする。この種の映画に会議のシーンが多いのは日本映画の宿痾である。個人の運命が会議によって決められるのだ。この作品に会議のシーンはない。やむを得ない時はおもいきってマンガにする。セリフなども省略する。描かねばならないのは個人である。
リアルに
幻想的に
時にマンガに
全体には美しい映画をつくろうと思う
2011.1.10 宮崎駿
↓それでは、宮崎駿の映画「風立ちぬ」をネタバレします!
>風立ちぬ ネタバレ 結末 宮崎駿 スタジオジブリ