「輝く今日を見つめて」2014.12.15

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「日本のケインズ」
歴代の日銀総裁の中で、唯一その肖像が日本銀行券に使用され、そのふくよかな
容貌から「ダルマ蔵相」、「ダルマさん」と呼ばれて親しまれたのが高橋是清です。
 昭和恐慌を終息させた是清は、「日本のケインズ」とも呼ばれました。それはともに、
財政出動によって需要喚起、景気回復を達成する理論と実践の持ち主であったからです。
 是清が2・26事件で凶刃に斃れた昭和21年、ケインズの「雇用・利子および貨幣の
一般理論」が完成したのは奇しき縁であり、是清の先見性を証明するものでした。
そして、2人に共通するのが、投機が大好きだったことです。
 ケインズが相場の達人で、「商品、株、為替と何でもござれ・・・」と、相場を張りま
くって巨財を築いたことはよく知られていますが、是清も大の相場好きで、相場初体験は
26歳の時でした。
 
 当時、是清は大学予備門の講師のかたわら、得意の語学を生かし翻訳の副収入で
生計をたてていました。そして、4500円の蓄え全額を相場に投じたそうです。
また、是清は相場のみならず、10倍リスクの高い鉱山業(山師)をペルーで試みた
経験もあります。
是清には「相場をやる山師」のレッテルが張りつけられましたが、
そんな風評はどこ吹く風、それらの体験が貴重な肥やしとなり、6回大蔵大臣の椅子に座り、
支払猶予措置(モラトリアム)を行うと共に、片面だけ印刷した急造の200円札を大量に
発行して銀行の店頭に積み上げて見せ、預金者を安心させて金融恐慌を沈静化させたことや、
犬養内閣時には金輸出再禁止、日銀引き受けによる政府支出(軍事予算)の増額等で
世界恐慌により混乱する日本経済をデフレから世界最速で脱出させ(リフレーション政策)、
見事に昭和恐慌を終息させました。
 
その後も、日銀総裁から総理大臣の椅子まで射止め、凄腕財政家として歴史に
巨歩を印しました。今の時代、高橋是清に学ぶことは沢山ありそうですね。
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