「輝く今日を見つめて」2014.9.15

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私の、従弟と叔母が長崎大村に居を構えている。
たった、70年程前にこんな悲惨が情景があったとは信じられない。
5年に亘って記録した、米軍記者の撮影した一枚の画像に全てが凝縮されて生生しい。
以下
『焼き場に立つ少年』1945年長崎
ジョー・オダネル
  アメリカ軍の海兵隊員として長崎県佐世保港に上陸した
  ジョー・オダネルは第二次世界大戦後の日本を撮影した。
 佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが眼に入りました。男たちは六十センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石炭の燃える穴の中に次々と入れていたのです。十歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子どもの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりとちがっています。重大な目的を持ってこの火葬場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は火葬場の淵までくると、かたい表情で目をこらして立ちつくしています。背中の赤ん坊はぐっすりと眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
 少年は火葬場のふちに、五分か十分も立っていたでしょうか。白いマスクの男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。このとき私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づきました。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、火葬場の熱い灰の上に横たえました、幼い肉体が火に溶けるシューという音がしました。それから、まばゆいほどの炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。あまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま去っていきました。
長崎新聞社

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